米もあった2011/03/01

先日、しじみの即席味噌汁の話を書きましたが..
http://accordion.asablo.jp/blog/2011/02/25/5724233


イオンで米味噌タイプの物を発見しました。

ひかり味噌という地元では聞きなれない会社です。
価格はサンジルシの半分以下で99円でした。

パッケージの裏面表示です。原材料はとてもシンプル。
米みそという表示があります。
ひかり味噌という会社は諏訪にあるらしい。

ちなみに、これはサンジルシの方の裏面表示。(サンジルシは桑名にあったんですね..)
味噌の種類は豆みそです。つまり赤みそですね。
こちらも原材料はシンプル。
同じ2食入りですがこちらの方が23g多いです。
値段はひかり味噌の倍以上ですが、しじみは国産と表に表示されています。

ついでに..
これは永谷園のしじみ70個..というやつの裏面表示です。
味噌は米ですね。原材料は先の2製品よりも複雑です。

サンジルシも、ひかり味噌も、殻付きの蜆が入っていますが分量はちょっと違います。
左がサンジルシで、右がひかり味噌。
前のブログでご紹介した通り、サンジルシには34個のしじみが入っていました。
今回のひかり味噌の方は丁度10個。
ちょっと少なめですが貝の大きさはサンジルシよりも大きめで、出来上がった味噌汁も
風味豊かで米みそとしじみのマッチングが良く、99円でこの味なら大満足です。
しじみ70個の成分より、生しじみ10個の勝ちです。
個人的な味の部分のみの感想ですが..

発表会20112011/03/02

3月27日(日)に、monte accordion のアコーディオン教室で習っているお客様の発表会を行います。場所は名古屋市中区新栄にある名古屋YWCAの多目的ホールで、13時開演です。
レッスンや日々の練習の成果を発表する会ですが、ビギナーの方も多く、人の前で演奏する機会が少ない方が殆どですので、演奏会として聴き応えのあるものではないかも知れませんが、趣旨をご理解し発表者の応援をして頂ける方やアコーディオン演奏に興味がございます方は是非、会場へお越しください。入場は無料です。多数の皆様のご来場をお待ちしております。

会場の詳細は下記サイトをご覧ください。
http://www.nagoya-ywca.or.jp/mapfiles/ywcamap.htm

よさみ2011/03/03

今日は定休日でお休みです。
ちょっと行ってみたい所があったので行ってみました。
場所は刈谷市で家からは車で30分程度です。

という訳で、目的地へ到着。
「フローラルガーデン よさみ」というちょっとした公園です。
特に入場料が必要な場所ではありません。
ちなみに、「よさみ」とはこの付近の古い地名で「依佐美」と書きます。
依佐美村は安城市と刈谷市に分割され、今はこの地名はありません。


ここへ来たのは、別に公園に来たかった訳ではありません。
公園の敷地内の先に目的地が見えてきました。


ここが目的の場所です。
建物の壁から怪しい角が2本突き出ています。


この建物は「依佐美送信所記念館」という所です。
かつてこの場所にあった依佐美送信所を後世に伝える為に建てられました。


記念館に入ると送信所にあった古い設備がまるで使用中の様な感じで展示してあり、とても驚きます。
送信所があった頃のジオラマがありました。
ここには送信設備と共に、巨大なアンテナがありました。250mもの高さを持つ鉄塔が8本も建っていたのです。
私はここから直線距離で15km程東にある岡崎市に住んでいますが、家からでもこの鉄塔の赤く点滅する光が
よく見えました。それに気付いたのは多分、小学校の時で普通にいつもの夜景として見ていましたが、
ちょっと前から光が見えなくなった事に気付いていました。
調べてみると、1997年にこの鉄塔は撤去されていました。普段、気にしていないのですぐに気付きませんでした。

この鉄塔はVLF(超長波)という大変長い波長の電波が出ていた物という事は知っていましたが、
中学の時、先生からアメリカ軍が対潜水艦用に使っている設備と聞かされていて良い印象がありませんでした。
ところが、今改めて調べてみると、これは元々日本が作った素晴らしい施設であった事が分かりました。
今までの誤解が無ければもっと違った見かたができていたでしょう。既に存在しないのは大変残念です。
その時点での情報としては間違っていませんでしたが、物を教える教師という仕事は責任が大きいですね。
幸い、記念館があるとの事なので来てみたという次第です。


記念館の内部には送信設備を使用していた状態の配列で展示がしてあります。
これは送信設備の一番最初の部分の交流モーターです。
BERLINと書いてある通り、ドイツ製です。奥に見えるのは直流発電機です。


これは直流モーターです。
交流モーターが直流発電機を回し、できた直流の電気でこのモーターが回ります。
この辺まで見て行くと、何で電波を作るのにモーターや発電機?という疑問が沸いてきます。


最後にこの高周波発電機を直流モーターが回して電波ができます。
とてもまわりくどい方法ですが、直接交流モーターで高周波発電機を回すと回転が正確では無いため、
周波数が安定しないので、一旦、直流にして制御をかけながら高周波発電機を回すという事らしいです。
送信所というので巨大な真空管でもあるのかと思いましたが、
この時代の大出力送信は機械的なエネルギーを直接高周波へ変換する方法しかなかったようです。
中学の時に無線の免許を取りましたがテキストに真空管は出てきても高周波発電など書いてなかった。(と思う)
こういう方法で電波が作れるという事を初めて知りました。


これは高周波発電機に付いている表示です。やはりドイツ製です。
この巨大な発電機は毎分1360回転し、最大出力700kVAで5814Hzの高周波を作っています。
AMのラジオ放送の電波が100~300kW程度なので、かなりの高出力です。
ちなみに、地上波デジタルテレビの送信出力は3~10kW程度。


高周波発電機から出た高周波はこの巨大なコイルと巨大なコンデンサーによる共振回路を通って行きます。
このコイルは内側のコイルが前後に動いてインダクタンスを可変できる構造。
金属類はコイルの特性に影響が出るので、木組みのボディーで、釘も使っていないそうです。


上のコイルと対になるコンデンサーです。
まるでバッテリー郡の様な大きさですが、案外容量は小さいです。
高出力に耐えるようにしたため、大型になったのでしょう。


この筒型の装置で5814Hzの高周波は3倍の周波数に変換されます。
原理が書いてありましたがよく理解できませんでした。
これで送信する電波は17442Hzとなります。つまり、17.442kHzです。
日本のAM(中波)ラジオの電波は1000kHz付近なので、それよりもずっと低い事になります。
周波数が低い=波長が長い、という事で超長波(VLF)と呼ばれます。


てい倍器の後には巨大な電流計が付いていました。
単位が凄い!


送信装置の最後のコイルです。
かなりの大きさです。アンテナとのマッチングを取っている物でしょう。


巨大コイルから建物の外へ出てアンテナへと向かいます。
建物の壁に出ていた角は、送信機からアンテナへ向かうために、壁を貫通した碍子(がいし)でした。


これが送信設備の回路図です。


記念館は階段で上から設備を眺める事ができます。
最初の交流モーターから最後のコイルまでの一連の設備がよく見えます。
送信所と言っても巨大機械設備が半分を占めているので、工場の様な騒音だったと思います。


これは送信設備の操作盤です。
なんと、パネルは大理石!


これは外に立っていたアンテナ設備に使われていた碍子(がいし)です。
私は今の仕事に就く前は、この碍子を作っているメーカーに勤めていたので、
大変興味深く観察しました。


私の勤めていた会社の地元、愛知県にある送信設備なので、当然、その会社の物だと思って見ると..
メーカーロゴが違う!
「KYOTO」と書いてあり、菱形のマークが書いてあります。
後で調べてみると、これは京都にある松風工業という碍子メーカーという事が判りました。
マークは松葉に囲まれた<風>という事でしょう。
送信所の建設は1927年開始という事なので、1919年に創立した私のいた会社は既にありました。
推測ですが大電力用送電用の碍子を得意としていた会社なので、高周波分野は
松風の方が長けていたのかも知れません。 それにしてもちょっと悔しい。


これは250mもの鉄塔を一点で支えていた台です。
大地と絶縁する為に下部には先ほどの写真の右の方に写っている白い円盤型の碍子が
5箇所にセットされています。
アンテナのタワーの下部は鉛筆の先の様に尖っていて、この球形の台の上に一点で立っています。
アンテナタワーが風や地震で揺れても大丈夫な様に、関節の様な構造になっています。


これはアンテナタワーに付いていた航空障害灯です。
これの光が15k離れた私の住む場所まで届いていたという事です。


建設当時の写真や、送信所に関わる写真のパネル展示もありました。
これはアンテナタワーの支線交換作業の写真ですが、なかなかスリリングです。
高所がダメな人には考えられないでしょうが、私はこの作業、できる方の人です。


ビデオ上映のコーナーもありました。
椅子が幾つも並べてありましたが、ポツンと私1人で見ました。


アメリカ軍占領時代の送信所に掲示された注意書きの看板です。
アメリカは水中にも侵入できる超長波を使い、潜水艦に向けた送信をしていたという事です。


記念館の2階の窓から見たアンテナタワーです。
館内はしっかりと見学したので外にで出てアンテナタワーを見る事に..
結局、館内を1時間程度、見学していました。


紅白に塗られた250mあったアンテナタワーの下部です。アンテナ萌えですね..
今は25mで1本だけモニュメントとして残されています。
当時は250mが8本もありました。その頃の勇姿をもう一度見たいものです。
1929年(昭和4年)には運営されていたという事ですので、その当時に250mが8本というのは
とんでもなく、凄い事だったと思います。
1922年に長崎の佐世保市針尾島にできた送信所のアンテナは135~137mが3本ですので、
それよりも高く、本数も多いです。多分、当時の高さで日本一だった筈です。
250mというと、名古屋駅のタワーズやミッドランドスクエア、東京都庁程度の高さです。
ちなみに、1953年に建った名古屋テレビ塔は180m。 東京タワーは1958年で333m。
エッフェル塔は1889年で324mです。


鉄塔の脇にある表示です。
これによると、250mの鉄塔は当時、東洋一の高さという事らしいです。
700kWの送信電力は当時の長波としては世界一との事で、凄い設備だった事は間違いありません。
日本からヨーロッパまで中継なしで電波が送れるという部分にロマンを感じます。
携帯電話の様に近距離を幾つも中継して遠方まで到達するというのとは全然違います。
太平洋戦争突入の暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が送信された送信所の一つでもあるらしいです。
戦後はアメリカが使用していましたが、元々は日本が外交の為に作った平和利用の為の施設でした。


当初、思ったほど期待していなかった記念館ですが思いの外、見応えがありました。
そんなに広くもないのですが、かなりの時間、この場所にいました。
惜しいのは鉄塔が現存していないことです。アンテナマニアとしてはこれは大変惜しい..
地元にこのような施設があった事をとても誇りに思います。
前述の佐世保にある針尾送信所のタワーはまだ現存しているので、機会があれば見てみたいものです。

依佐美送信所記念館はとても貴重な資料が見られる場所です。
お近くの方は是非一度、見学してみてください。
アンテナ萌え~な方々には素晴らしいスポットである事は間違いありません。

こんな事が..2011/03/11

それは突然の事でした。
2011年3月11日14時46分の少し前、「緊急地震速報です..」というアナウンス。

これは店に設置してある緊急地震速報の受信機ですが、この装置から警報が流れました。
警報後、ラジオに切り替わり注意して聞いていると宮城県..と言っているので、
遠くの事か..と、他人事に思いました。
この装置はFMラジオを受信して緊急地震速報が出た時に警報が出る物ですが、
通常、地元での地震だけに反応するように、地元FM局の周波数にセットします。
私は日頃の訓練や装置作動確認の為に、敢えてNHKにセットしてあります。
なので、遠方の地震速報も受信し警報が出ます。
今回も遠方の警報なので一瞬、安心しましたが数秒経過して何か嫌な感じがしたので、
パソコンのテレビを起動させてNHK総合を見てみました。


すると、TV画面では既に激しい揺れの様子が映っており、速報通り、大きな地震が来た事が分かりました。
それでも遠方という事で非常に客観的に画面を見ていました。


立ったままパソコン画面に映るテレビを見ていると、何かめまいを感じました。
一瞬、めまいかと思いましたが作業台の上の蛍光灯のプルスイッチにぶら下がっているnutellaの
マスコットが大きく揺れているのが分かり、これは東北の地震がここまで伝わっている..と気付きました。
これはただ事ではない..すぐにそう思いました。
とてもゆっくりとした、大型フェリーにでも乗っているかの様な不気味な揺れでした。
阪神大震災の時にも大変ゆっくりとした揺れをベッドの上で感じましたが、それよりもっとゆっくりでした。
何より怖いと感じたのは、神戸→愛知の距離ではなく、東北→愛知の距離なのに大きく揺れた事です。
あまりにゆっくりな揺れなので棚にある物などは大地と共に動き、揺れて倒れるとかそういう事は全くありません。
ぶら下がっている物だけが揺れていました。外を見ると電柱の電線が揺れていました。


TVによれば東北でも揺れは収まったようですが、津波の警報が出ていました。
予想津波高さはとんでもない数値でした。「大津波警報」というのも初めて見ました。
ここ愛知でも津波警報が出ていました。
緊急地震速報が出て揺れを感じてからは、TVから目が離せませんでした。
そして暫くしてTV画面からは津波が押し寄せる光景が無情にも淡々と流れて行きました。
まるで映画でも見ている様な、そんな光景でした。
アメリカの同時多発テロの時にもこんな感じでTVを見ていた事を思い出しましたが、
これはそんなに遠くない日本国内で今、起きている事なのだ..と思いました。
でも、何も出来ずにただ見ているしかありません。


その後も緊急地震速報が出て、再び、ゆっくとした揺れを愛知県でも感じました。
余震というにはあまりにも大きな規模です。
TVを見ていると震源は段々と南へ移動し、地震の原因はプレート境界由来という事も伝わってきて、
このまま東海地震、東南海地震へと繋がるのではないか..と、身構えました。
結果として東海地震には至りませんでしたが、東北、東日本では大変な被害を
もたらす大災害となってしまいました。

被災された方々に心よりお見舞いを申し上げるとともに、
犠牲になられた方々に対しましてお悔やみ申し上げます。

私の住む愛知県に於いてもこれはけして他人事ではなく、東海地震、東南海地震は過去の歴史から
そんなに遠くない時期に起きる事が予想されています。
地震災害に対する日頃の準備や対策は大変重要であると再認識しました。
monte accordionでは、店内の棚や楽器、重量物は地震対策を講じており、
ガラスや蛍光灯にも破片が飛散しない対策を行い、お客様への安全を図っております。
その上で、緊急地震速報の受信機も設置しておりますが地震災害への準備、対策を
今一度、行って行く必要があると思いました。

音楽会2011/03/11

私が以前勤めていた会社の音楽会へ行ってきました。
丁度、私が辞めた年から毎年行っており、今日で4回目です。
有難い事に、会社を辞めた今も毎年、お誘いがあります。
今日は東北で大地震があり、開催を見送るか検討したようですが、
既に会場の予約をしてあった為、行うという決断をしたようです。

私は19時まで店の営業があるので1時間遅れで会場へ到着。
この会の常連メンバーもいますが、さすがに3年経つと新しい顔も多いです。
知らない人がいるという事はアコーディオンも知らない人が多いという事ですので、
アコーディオンを知ってもらう良い機会です。
という訳で、私も演奏をさせて頂きました。

実は私以外にもアコーディオン奏者がいます。
私が辞める直前の第一回の時に私が演奏したのを見て、アコーディオンを始める事にした方で、
私が店をオープンさせた後にレッスンへ来て頂いています。
1年以上習っているので格好もサマになっていますね。

最後は全員で社歌の斉唱です。
久々に社歌を歌いました。
社歌は、私が入社した頃には年に一度くらい社内で歌う機会がありましたが、
いつしか殆ど歌われなくなっていました。
という訳で、歌詞は所々忘れています。メロディーはしっかり覚えていますが。
それにしても、会社を辞めて3年。 時が経つのは早いですね..